広島支部からお知らせ

「野の花会」(女性の会) 参加募集
二葉の里 「七福神めぐり] と ホテル会食 
・日時 11月10日 (日)10:00 ~
・場所 JR広島駅 新幹線口2F 集合 
 詳細は 当HP にご案内しています

2022年/役員挨拶 (当時 アーカイブ)

支部長回顧 沖田康尚 2022年8月23日

前支部長 沖田 康尚

私が前支部長の矢吹恭久支部長から「次の支部長をやらないか」との打診を受けたのは2013年2月。「もっと若い人の方がふさわしいのでは」と固辞したが、いろいろあって、その年の6月15日の支部総会で支部長になった。総会後の二次会には若い人や女性が多く参加した。その日の日記に「若い人や女性が気軽に参加できるような集いの場を作りたい」と記している。
まず取り組んだのは女性会の再立ち上げ。私が支部の幹事をしていた頃、広島勤務だった女性会員が中心になって女性会活動を行っていた。バイタリティのある方で、同じ同窓生のご主人と共に夜の会合にも積極的に参加されていた。しかし。彼女が転勤になられて、活動は停滞し、自然消滅の形になった。

 

この再立ち上げを花本美江子副支部長に働きかけ、「野の花会」という名称で発足したのは2014年7月27日。本部から役員も出席し、男性お断りにあえてお願いし、私と山本準治副支部長が参加した。次いで立ち上げたのが若者の会。女性の会再発足に遅れること3年。2017年11月17日。若い会員が人づてに参加者を探した。ゲスト参加して発会式に参加したが、「このような幅広い職域に同窓のすそ野が広がっていたのか」と驚き、感激した記憶がある。会の名称も「やろうぜ」をもじって、彼らが「夜嵐会」と名付けた。この女性の会、若者の会の立ち上げは全国の支部では早い方だった。

ひろしま美術館で夕刻に開催した「美術鑑賞とワインの会」は美術館に勤めていた幸本裕行幹事の全面協力で実現。カープ愛の街ならではの企画「プロ野球観戦」は深渡瀬威幹事のサポートで開催した。両催事とも支部では高い人気で、多くの参加者から喜ばれた。また、支部活動の全県的な広がりを求めて実現した広島市以外の地域で開催する年一回のイベントも呉市や東広島市で開催。地元担当の幹事が東奔西走しての開催だった。特に好評だったのかNHKの朝ドラ「マッサン」の故郷の竹原市を散策した企画には福山支部の仲間も参加。銘酒「竹鶴」を飲みながらの歓談は「最高―」だった。 せっかく軌道に乗り始めたと実感した支部催事も新型コロナ禍でずたずたにされた。ここ2年間は何もできない状況が続いたのが最大の心残り。基盤づくりも出来上がり「さあ、これから」という時期のコロナ禍。

今の願いは、次代を担う「野の花会」「夜嵐会」の皆さんが自分らだけのイベントの発案、実行にとどまらず、支部活動全体を視野に入れた幅広い提案、実行をしてほしい。それが2つの組織の最終目標であるのだから。あとは「任せまっせ」。

藤井支部長挨拶 2022年9月10日

沖田先輩の後、支部長になりました藤井英昭(昭和52年法学部政治学科卒)です。
私の学生時代を振り返りますと、入学してすぐ心理学研究会に入部し麻雀という悪い遊びを覚え7月頃からは授業にほとんど出ませんでした。アルバイトに精を出し、小倉競馬場駐車場の誘導や小倉ホテルのナイトレストランのボーイ、鍛治町のシャブシャブの店員、日明港での徹夜の積荷チェック、電話局での回線試験などたくさんやりました。中でも小倉競馬場のバイトは土日昼飯付きで賃金も高く貧乏学生の私にはたいへんありがたかったです。

入学した年には第一次オイルショック(石油危機)が起きその年以降数年は就職が大変厳しかった時代でした。フォークソングが全盛で拓郎や陽水の曲が大ヒットし、どこに行っても彼らの曲が有線で流れていました。スポーツ界ではあの長嶋茂雄が引退し、カープが初めて優勝したのはこの頃だったと思います。

3回生になり少し心を入れ替えようと思い、ゼミで山口圭介教授の国際政治論(広島支部の会員名簿には何人か後輩がいて嬉しくなります)を選択したところ希望者はなんと私だけ。教授には久留米のご自宅に招待していただいたり外書購読の仲間とともに麻雀をしたりして、支払いも含めてたいへん可愛がっていただきました。卒業式の後、ご挨拶に伺うと送別会をしてくださいましたが、教授はベロベロに酔っぱらってしまわれ、二人とも3月初めのたいへん寒い中スナックの2階に泊まるはめになりました。毛布が1枚しかなかったので教授に譲り、私はワイシャツ姿でブルブル震えながら寝ました。

大学卒業後は東京に行き、日比谷公園の前にある本社に勤務した時には仕事が大変ハードで身も心も休まるときはありませんでしたが、楽しかった学生時代を思い起こすことでずいぶん救われたような気がします。

趣味は活字を追うことで、ジャンルは政治、経済、社会、法律、不動産、スポーツなど多岐に渡ります。退職後起業することを目標に在職中に宅地建物取引士、マンション管理士、賃貸不動産管理士、2級FPなどの不動産関係の資格を取得してきました。今は「FP・マンション管理士(コンサル業)」をしていますが、会社勤めと違い、自分で稼ぐことの難しさを改めて感じています。若いときはスポーツも結構得意で、硬式テニスの世田谷区民大会でベスト8に入ったこともありますが、15年前ぐらいから急に体力が落ち、昔のようにパフォーマンスが発揮できなくなったのでラケットをメルカリで売りました。ゴルフも目の調子が良くないとの理由で(本当は沖田さんに勝てないのが悔しくて)3年前に道具一式をレプトンで売りました。体力が落ちていくのは寂しいものです。

さて同窓会は関係者の御尽力により今年4月から法人化され組織力が大幅に強化されました。
これを機に北九州市立大学同窓会が更に発展していくことを私も心から願っています。広島支部は支部の中でも福岡支部についでたくさんの会員を抱える支部として、本部から見ても期待は大きいと思います。コロナに縛られた生活も3年になりますが一向に収束する兆しが見えません。こんな状況でどれだけ満足いく支部活動ができるかわかりませんが、皆さんのお知恵を借りながら、楽しい支部活動にしていきたいと思います。ご協力をよろしくお願いいたします。同窓会を通して一期一会を大切にしていきましょう。

福島副支部長挨拶 2022年10月7日

現在、副支部長・呉地区統括を仰せつかっています福島一之(昭和56年法学部法律学科卒)です。広島県尾道市の出身です。

 私は学生時代弓道部でした。元々運動部に入ろうという気持ちは有ったのですが、走ったりすることは正直あまり好きではありませんでした。「弓道部なら走ったりすることは無いだろう」と思い入部したのですが、実際にはほぼ毎日ランニングが有りました。先頭で声を出しながら走るのは辛かったですが、今では懐かしい思い出です。

私が入部した頃、弓道場はキャンパスから少し離れたグランドに有り、授業が有る時は道着&袴のままキャンパスに向かうこともありました。在学中に弓道場はキャンパス内に移りましたが、現在はまた違う場所に移ったと聞いています。機会が有れば訪れてみたいものです。

 部活の関係でバイトは単発ばかりでした。12月は西小倉駅で荷物の積み替えをしたり、福留ハムでお歳暮用詰め合わせを作ったりしました。荷物積み替えは夕方から翌朝迄でしたが貨物列車が来るのは2回ほどで仮眠が出来たし、帰る前に風呂にもはいれました。福留ハムでは傷物を持ち帰られるという特典があり、同期の下宿に行って食べたりしました。初めての一人暮らしでしたが、それなりに楽しく過ごした感じです。

 卒業後、広島県内に本社がある企業を選択し、今も勤める会社に入社。現在の本社は東京ですが、創業は広島県呉市で戦艦大和の製造にも関わりがあったそうです。性格的に営業は無理じゃないか?と考え総務部を希望したのですが、営業部門に配属となりました。営業の時は東京・名古屋・大阪と転勤。東京勤務時は東北や長野・新潟、名古屋勤務時は北陸3県や静岡、大阪勤務時は近畿一円や四国ととにかく出張が多かった。行ったことが無いのは北海道・沖縄など数県のみです。無理だろうと思っていた営業部門で何とかなったのは会社の先輩方の指導もありますが、学生時代の色んな経験が役立ったと思っています。その後企画部門に異動となり呉に転勤、現在は管理部門に所属しています。企画部門所属時には商品調達の為に中国に何度も出張しました。出張先は内陸部が多く、海鮮料理を食べたことは殆どありませんでした。

 趣味は音楽鑑賞や映画鑑賞。ドライブも好きですね。

 先日総会の席でお話ししましたが、呉にいる(今の会社に勤める)のは残り1年ちょっととなりました。コロナ禍でここ数年は活動が制限され、皆さまとお会いして話したり出来なかったことが残念です。それでも最近少し明るい兆しが見えつつあります。楽しい支部活動になる様、出来る限りのことをしたいと考えています。

河野副支部長挨拶 2022年12月19日

この度、花本さんの後任として副支部長をさせていただきます河野豊子(こうのれいこ:昭和52年米英学科卒)と申します。

 卒業して早や半世紀近い年数が経ちました。広島に来て43年。この同窓会に参加させていただくようになり、皆様との出会いが嬉しい今日この頃です。先輩の皆様や後輩の皆様との世代を越えたつながりは、とても素敵なことだと思います。

大学在学中は、サークルは英文タイプ研究会(ETS)に属していました。ESSにつぐ大所帯のサークルでしたが、今でも先輩や後輩たちと交流をしています。ETS自体はもうすでに消滅していて、それはとても残念なことですが、英文タイプの時代ではないので仕方ないとあきらめています。あのタイプライターの音がとても好きで、大して練習もせず、してもさほど上手くならずの4年間でした。

卒業後は、地元福岡で就職しその後広島へ。現在は安佐北区に在住し、毎日楽しく過ごしています。夫も同じ北九大(昭52年経営学科卒)なので、同窓会行事にはできるだけ参加させていただいています。

趣味はあまりありません。音楽は洋楽、邦楽どちらも大好きです。(音楽鑑賞ぐらいかな)

パソコンもあまりよくわからずのこんな私ですが、藤井支部長の足を引っ張らないように、

皆様のお役に立てるよう頑張らせていただきたいと思います。

 また花本さんが引っ張ってきてくださった女性会(野の花会)も、引き続き皆さんが楽しく参加できるような会を企画できたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

幸本副支部長挨拶 2022年12月25日

副支部長を拝命しております幸本裕行(昭和56年商学部経済学科卒)です。
そもそも同窓会に顔を出すようになりましたのは、前支部長の沖田先輩が地元新聞の経済部長をしておられた時、私が地元銀行の広報担当だったというご縁で(ちなみに地元に基盤のある自動車メーカー広報担当のK氏も、なんと同窓で同学年でした)、その後沖田先輩が支部長に就任されてからお声がけいただいたのが始まりでした。

それまで仕事も忙しく同窓会といわれてもあまりピンと来なかったのですが・・・それはさておき、私の大学
時代などについて少しご紹介させていただきます。
どうでも良い話なので、つまらないと思われた方、申し訳ありません。先にお詫びいたします。
さて、大学時代、初めて一人暮らしを始めた多くの皆さんが感じたであろう、これで監視の目から解放されたという自由感、「学生さんは良かねぇ」とのお言葉を真に受けた非常識な振る舞いや不摂生などなど、私も思いっきり満喫していたように思います。

こういう中で、まず、入学した時の住み家ですが、学生課に紹介してもらうべく訪問した際(いつかは良く覚えていませんがおそらく入学式の少し前)、「今からではあまり紹介するところはないですよ」と言われてご紹介いただいたのが北方の三畳一間の共同風呂・トイレの間借り部屋でした。そこは、家主のおやじさんが夜な夜な酔っぱらって部屋に押しかけ、色々と小言を聴かされる、また、当時おんぼろの250ccの中古バイクに乗っていたことで、おやじさんから「このあたりに暴走族がおるらしい」と嫌味を言われ、また、部活の先輩が深夜に情けない声で「近くの女子寮ばたたき出された、泊めてくれぇ」と来訪する、云々。
で、ついに意を決し、2年生になる前に、大学近くの不動産屋に行き、アパートを斡旋してもらうことにしたのですが、これが「アカシヤ荘」という木造2階建てのかなりくたびれた代物で、6畳と3畳の二間にトイレ付(押入れの中にさらに扉がありその中にトイレ、もちろん汲取り式というユニークな設計)、ここに卒業までお世話になりました。(卒業前に「学生ハイツ」と少しオシャレな名称に変更されましたが、中身は変わらず

部活の話です。バンドがしたくて「フォークソング愛好会」に入りました。当時、軽音楽系サークルは、バリバリのロック中心の「ナイツ」、ジャズの「K&K」そして「フォークソング愛好会」と3つの同好会があり、当会は所謂「なんでもあり」のバンドの集合体でした。我々の代はフォークソングもですが、むしろウェストコースト・ロックやニューミュージック(当時、松任谷由実やオフコースとかはこう呼ばれていた)に傾倒しており、
その後我々が3回生の時に、かつて一世を風靡した(?)先輩のバンド名を借用し「ウィンドフォールズ」(「棚からぼた餅」の意)に変更しました。
さて、我がバンドはそのうちオリジナルをつくり、アマチュアコンテストに出場するのも目標の一つとなりました。自慢で恐縮ですが、「サウンドウィズコーク」というコンテストでは応募数 百数十のバンドが競い12~3バンドが選ばれる九州大会に、下手なくせに奇跡的に出場できたのが良い想い出です(勿論あえなく惨敗)。また、部活の先輩の想い出も随分とありますが、中でも私が新入生の時、5月になるとM会長が突然学ランを身にまとい、ポケットにウイスキーの小瓶、せった履きといういで立ちで現れ、部員から「またMさんの5月病が始まった」とあきれられていました。
たるんだ精神に活を入れるためだったらしいのですが、真相は未だに謎です。
この会長が書き残した「音楽はハート」という名言は「下手でもハートがあればOK」のメッセージとして今でも忘れられません。
なお、現在、同窓会広島支部で会計を担当しておられる湖山氏とは、同じバンドで同じ学科、クラスも同じで今の家もご近所というまさに奇遇な間柄です。
学生生活は学徒とはほど遠く部活とアルバイトがど真ん中の生活でしたでしょうか。あっ、それから麻雀、パチンコも。
アルバイトの話です。約3年間NHK小倉放送局の報道でアルバイトをしていました。仕事は、各記者クラブから記者が電話で伝えてくる原稿の書き取り、ニューステロップの写植、ライトマン、その他諸々・・・。週1回日勤と夜勤があり、時給は相場からいってあまり高くなかったのですが、週給のバイト料は随分助かったものです。社会人の責任や倫理観をはじめ、報道セクションということもあり、多くことについて少しは学べたように思います。
それからゼミの話と、あとはやはり色恋沙汰でしょうか。エーット、さてさて書きたいのはやまやまなのですが、文字数の制限もあり、そろそろこのあたりで失礼しようと思います。
私の話はさておき、同窓会の皆さん、たまには集まってわいわいやりませんか。
人生経験豊富な諸先輩方との歓談や、異業種交流の場としても、同窓の気安さで藤井新支部長のもと気軽に楽しくやりましょう。
なお、現在、私は広島市内基町にある美術館に勤務しています。名画鑑賞も心の安らぎに良いものです、ご来館の際はお声がけください。

幸本 裕行